現在で花火大会といえば打ち上げ花火を想像する方は多いと思います。日本での打ち上げ花火の歴史は、室町時代に「唐人」が花火のようなをものを行ったという記録があるそうで、当時は、筒から火花が噴き出す花火だと言われています。また、戦国時代では、竹などの筒に火薬をつめ、ロケットのように打ち上げ、狼煙として使用されたものが、各地に伝わったと言われております。

現在に近い、打ち上げ花火がみられるようになったのは江戸時代。火縄銃に使われていた火薬を平和利用して花火の揚げやおもちゃ花火が作られ、花火を専門に扱う火薬屋も登場しています。花火は娯楽として人気が出ましたが、打ち上げ事故、火災の原因ともなることから江戸では禁止令が出るほどでした。

江戸時代の享保17年(1732)の大飢餓で多くの餓死者が出て、更に疫病が流行し、幕府(8代将軍吉宗)は、翌18年(1733)5月28日(旧暦)犠牲となった人々の慰霊と悪病退散を祈り、隅田川で水神祭を行い、この時に、両国橋周辺の料理屋が公許(許可)により花火を上げた「両国の川開き」が、もっとも古い花火大会の原型ではないかと言われております。その後、川開きにあわせて花火が行われ恒例になりました。川開きは旧暦5月28日から8月26日までの納涼期間の始まりで、この間は川岸には食べ物やが立ち並び、川には船を浮かべ、花火を上げるなどして、夜半まで賑わったそうです。そして、「両国の川開き」は、現在の「隅田川花火大会」につながっています。歌川広重『名所江戸百景』にも、両国の花火のようすが描かれています。

明治以降、全国でも川開きに合わせて納涼開始を祝う花火大会が開かれ、お盆の鎮魂として、秋の収穫祭を祝うものとして花火大会が広まっていきました。